時計ブランド サ行


とけたんトップ > 時計ブランド説明【サ行】


【ア行】 【カ行】 【サ行】 【タ行】 【ナ行】 【ハ行】 【マ行】 【ヤ行】 【ラ行】 【ワ行】

■サ行 ブランド一覧
 シチズン
 ジバンシィ
 ジャガー・ルクルト
 ジャケ・ドロー
 シャネル
 ショーメ
 ショパール
 ジラール・ペルゴ
 ジン
 スウォッチ
 セイコー
 セクター
 ゼニス
■サ行

シチズン
【 CITIZEN 】

 言わずと知れた国内屈指の時計メーカー。

 1918年、山崎亀吉によりシチズン時計の前身、尚工舎時計研究所 創立。1924年、「広く市民に愛され、世界にはばたくように」との願いが込められ「CITIZEN」と名付けられた時計が誕生。1930年、シチズン時計株式会社創立。

シチズンの時計を見る・探す

ジバンシィ
【 GIVENCHY 】

 「エレガンス」をコンセプトに展開するブランド。

貴族出身の祖父母が収集した美術品などに囲まれて幼少時代を過ごし、優秀なデザイナーのもとで修行を重ねたユベール・ド・ジバンシィは、1952年メゾンをオープン。顧客にジャクリーヌ・ケネディ、ウィンザー公夫人、グレース王妃という名が連なっていた。1954年にはオードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」のためにドレスを手掛ける。独創的なデザイン、スイス生産などあらゆる要素で徹底したこだわりのもとに創り出された時計のデビューは1983年。以来、「デザイナー時計」として、不動の地位を築き上げる。

ジバンシィの時計を見る・探す

ジャガー・ルクルト
【 JAGER-LE CULTRE 】

 伝説的反転式腕時計「レベルソ」を顔とし、数百もの特許登録を誇る屈指のマニュファクチュール

 その歴史は、ルクルトがエドモンド・ジャガーと合併する1917年以前にまで遡る。
 天才的時計師として時計の歴史に名を残すブレゲの下で修行を積んだ時計職人のエドモンド・ジャガーは、工房を開きポケットウォッチを製作していた。そして、1907年カルティエとの独占契約を結び、カルティエの腕時計作りを支えることとなる。15年にわたりつくった時計をすべてカルティエに納入していた。
 ルクルトの歴史は、さらに遡る1833年から。スイス ジュラ山脈、ル・サンティエの町で時計製作を始める。1847年アントワーヌ・ルクルトが、巻上げ、時刻調整の切り替えができる機構を発明。また、1903年世界で最も薄いとされる厚さ1.38mmのポケットウォッチ用ムーブメントを発表する。
 そして、合併以降も数々の革新的時計を世に送りだす。1928年空気をエネルギーにする時計、アトモスを設計。1929年部品98、重さ約1gの世界最小の機械ムーブメント、キャリバー101を発表。1931年ポロ競技中の衝撃にも耐えれるようにという要望に応えて設計された反転式腕時計、レベルソを発表。1953年初のリューズなし自動巻時計、フーチャーマティックの製造。1956年初のアラーム機能付き自動巻時計、ジャガー・ルクルトメモボックスの発表。1993年角型ムーブメントにトゥールビヨン機構を組み込んだレベルソ・トゥールビヨンを発表。

ジャガールクルトの時計を見る・探す

ジャケ・ドロー
【 JAQUET DROZ 】

 時計、からくりの世界であまりにも有名な神業的機械技術を駆使する創業者を持ち、1780年世界で初めて腕時計を発表したとされているブランド。

 1738年スイス ラ・ショードフォンに天才時計師ピエール・ジャケ・ドローが工房を開く。卓越した機械技術を駆使し、ポケットウォッチ、クロックに留まらず、オートマタ(機械式からくり)をも製作していた。現在、ジャケ・ドローの名は、時計だけでなくからくりの世界においても著名なのである。
「シンギングバード」という作品は彼の名を一躍有名にした作品であり、18世紀に開花した複雑機械の発展を象徴する歴史的にも偉大な作品として語りつがれている。また、からくり人形の代表的作品例としては、「作家」、「音楽家」があり、人間の動作を精密な機械により、細部までみごとに再現していた。「作家」は、紙に文章を綴っていくのだが、書き綴っていく文字を目で追っていくのである。そして、驚くべきは「音楽家」と言われる作品。オルガンを弾く様子を表現した作品だが、オルガンを弾いているような動作ではなく、腕、そして指の関節までが動き、実際に小型オルガンを弾くのである。さらに、そのリズムにあわせ、呼吸をするそぶりまでするのである。
それらのからくりは、まさに神業的で、特にからくり人形は、その当時人造人間とまで言われていた。だが、神業的であるが故に悪魔の仕業とされ、彼は宗教裁判にかけれられ処刑されそうになったのである。それを救ったのは、彼の時計に魅了されていた一人、スペイン国王といわれている。
魅了されていたのは、スペイン国王だけではない。 1775年パリにて謁見したとされるルイ16世やマリー・アントワネット、ナポレオン1世、イギリス国王ジョージ3世、そしてロシア皇帝、中国清朝の皇帝とジャケ・ドローの時計に魅了された王侯貴族達は世界に数多い。

 宗教裁判後、スイス ラ・ショードフォンに戻ったピエール・ジャケ・ドローは、息子であるアンリ・ルイ・ジャケ・ドローと養子であるジャン・フレデリック・レショーと共にジャケ・ドロー&レショー社を設立。その後、ジュネーブに拠点を移す。そして、功績が認められ名誉市民となる。ジャケ・ドローブランドの歴史は、親子二代と弟子ひとりまでで、一旦幕をおろすこととなる。

 それから170年近くもの時が流れ、フランソワ・ボデにより、ジャケ・ドローの名義を購入、1995年「ジャケ・ドロー」ブランドを興す。現在は、スウォッチ・グループの傘下となっている。

ジャケ・ドローの時計を見る・探す

シャネル
【 CHANEL 】

 20世紀を代表するクチュリエール。

 ガブリエル・シャネルは、1883年フランスのオーベルニュ地方のソミュールに生まれる。母を亡くした後、修道院の孤児院や修道院で過ごす。1901年以降、仕立屋等で働き始める。この頃、ミュージック・ホールの歌い手となる。愛称の「ココ」は、レパートリーである「キ・カ・ヴィ・ココ」に由来しているとされている。1909年愛人であった陸軍士官エティエンヌ・バルサンの借りていたアパートメントの1室に帽子のアトリエを開く。翌年、パリ カンボン通りに移り、帽子店を創業する。その帽子店では、服飾デザインも手掛けるようになり、1914年にメゾン「シャネル」としてリニューアルする。その後、本格的にクチュール界へ進出。生み出されていく数々の斬新なスタイルは、当時から現代に至るまで、常に女性達の心を魅了し続ける。
 時計の歴史は、1987年から。多くの女性を魅了したプルミエールコレクションに始まる。時計ブランドとしての地位を確立したシャネルは、さらに、ジャック・エリュが手掛けるシャネル初のスポーツウォッチJ12を発表。ジャック・エリュのこだわりは、スイス ラ・ショードフォンで具現化されている。

シャネルの時計を見る・探す

ショーメ
【 CHAUMET 】

 古より多くの貴族や大富豪を魅了し続けてきた、高級宝飾メーカー。

 創業者マリ・エティエンヌ・ニト。王妃マリーアントワネットの宝石商のもとで修行する。修行を終えたニトは、自らの店を構え、1802年ナポレオン1世御用達宝石商となる。名声と富を得たニトは、やがて、息子フランソワ・レニョとともに、豪華な装飾品を製作していく。1815年帝政時代の終焉とともに、ニトは引退。アトリエ主任であったジャン・パティスト・フォッサンに事業を譲る。フォッサンは、息子ジュール・フォッサンとともに、イタリア・ルネッサンス美術と18世紀フランス美術に着想を得たエレガントなジュエリーを創作し、多くの貴族の他、芸術家などの著名人を魅了する。ところが、パリの商業活動に深刻な影響をもたらした1842年の革命により、外国での顧客獲得が必要となる。そして、ロンドンに店を構える。その店の経営は、アトリエ主任であったジャン・ヴァランタン・モレルに任せる。モレルは息子プロスペールの助けを得て、富裕階級の顧客獲得に成功し、やがてヴィクトリア女王の御用達宝石商となる。1852年ナポレオン3世が即位し、翌年結婚するとパリは活気を取り戻し、モレルはフランスに戻ることを決意する。1862年プロスペールがジュール・フォッサンの後継者として、店を受け継ぐ。フランス第二帝政の最中にあり、昼間に着ける宝石だけでなく、夜の舞踏会用の豪華なドレスにふさわしい宝飾品を数多く製作するようになる。1885年プロスペールの娘婿ジョゼフ・ショーメが後継者となる。店舗はヴァンドーム広場12番地に移され、ショーメのジュエリーは、多くの王侯貴族や大富豪を魅了し顧客としていく。1928年ジョゼフの息子マルセル・ショーメが受け継ぎ、アールデコ調のデザインを施したジュエリーを展開する。。
 時は流れ1970年代、日常的に的に楽しめるゴールドのジュエリーが、女性にとっての最初の宝飾品として発売されるようになる。ショーメは国際化し、時計コレクションを発売する。

ショーメの時計を見る・探す

ショパール
【 CHOPARD 】

 他と一線を画す、華麗かつ大胆、そして、革新的デザインの宝飾時計メーカー。

 1860年、ルイ・ウリッス・ショパールが、ジュネーブ北に広がるジュラ渓谷に創設し、ポケットウォッチとそのムーブメントを作ることから始める。1920年スイス時計の中心地ジュネーブに会社を移転。高精度の高級時計メーカーとして歩む。1963年、創設者の孫ポウル・アンドレ・ショパールは、ドイツ・フォルツハイムのカール・ショイフレ社にショパールを託す。フォルツハイム地方は、ドイツ宝飾産業の中心地であり、1905年に創設されたカール・ショイフレ社は、宝飾工芸技術を生かした宝飾時計の製造も行っていた。スイス時計の伝統的技術とドイツの宝飾工芸技術の融合がここに果たされた。「すべてをひとつの屋根の下で」を理念に時計も宝飾もデザインから完成までほとんどの工程が自社で行われている。

ショパールの時計を見る・探す

ジラール・ペルゴ
【 GIRARDO PERREGAUX 】

 「一生涯使える時計」を世に送り出すマニュファクチュールの雄。

 1791年、時計師ジャン・フランソワ・ポッドがスイス・ジュネーブに工房を設立。以来、マニュファクチュールを貫く時計メーカーとして現在にいたる。ジャン・フランソワ・ボットは1837年にこの世を去り、ジャック・ボットとサ ミュエル・ロッセルがそのあとを継ぐ。
 1854年、コンスタン・ジラールとマリー・ペルゴが結婚、1856年二人の性を取りジラール・ペルゴ社が誕生する。1867年、スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンを発表。1867年、パリ万国博覧会において金賞受賞。1880年皇帝ウィルヘルム2世の依頼によりドイツ海軍将校用の腕時計を設計、製作。1889年、スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンは、パリ万国博覧会において2度目の金賞受賞。「時計のモナリザ」の称号を授かる。1910年、腕時計の分野に本格進出。評価を得る。1928年、ドイツ人時計師オットー・グラエフがジラール・ペルゴ株を買い取る。1966年ジラール・ペルゴ社は、1時間に36000回振動するというムーブメントを搭載する高精度自動巻き時計を設計、製作。その年のニューシャテルの天文台で世紀賞を受賞。1969年クオーツ時計の量産化にスイスで初めて成功。この時に同社が設定したゥオーツ周波数が世界標準規格に。

ジラール・ペルゴの時計を見る・探す

ジン
【 SINN 】

 戦闘機パイロットが生んだ全ラインプロフェッショナルユースの時計メーカー。

 創設者ヘルムート・ジンは、第二次世界大戦時ドイツ軍戦闘機パイロットとして延べ2万時間以上の飛行をする。豊富な実践経験をもとに時計作りを始める。そして、1959年、初めてパイロット・クロノグラフを発表し、ドイツに「ジン特殊時計会社」を創設する。ジンが製作する時計は、特殊部隊専用時計など、全ラインプロフェッショナルユースとなっている。1995年、創業者ヘルムート・ジンにかわり、IWC社においてエンジニアを務めるなどの功績を持つローター・シュミットが責任者として就任。「本当の時計のあり方は、使う為の形を考えた時計以外にあり得ない」という創業以来の哲学に磨きをかけ、様々な分野の最新テクノロジーをを導入していく。
時計のケース内にシリコンオイルを入れ視認性を確保し、5000メートルもの防水性を実現した「ハイドロ」という機構を開発し、また「ドライカプセル」や「アルゴンガス」などといった機構も採用する。

ジンの時計を見る・探す

スウォッチ
【 SWATCH 】

 スイス時計産業の救世主として登場して依頼、少量かつ芸術性の高さからコレクターズアイテムとなってきた「プラスチックの宝石」。

 古くから優秀な時計師たちにより築き上げられてきた時計王国としてのスイス。第2次世界大戦後、イギリスやアメリカの時計産業が衰退していく中、着実に時計産業を発展していった。だが、時計産業界に歴史的恐慌「クオーツショック」が訪れる。1969年セイコーが安価でありながら、高精度であるアナログ・クオーツ時計を商品化したことにより、スイス時計産業に大激震がはしることとなる。日本や香港から大量に送りだされたクオーツ時計は、国際市場を制圧していった。その為、スイスの時計生産高、時計製造メーカーともには激減、およそ4万人が職を失うという惨憺たる状況に陥る。この状況を打破し、市場を取り戻すべく、登場したのが「スウォッチ」である。

1980年、スイス最大のムーブメントメーカー「エタ」は、当時の社長アーンスト・トムケ自身が開発リーダーとなり、単純構造の時計開発「ノン・ウォッチ」プロジェクトに着手する。その主軸はプロジェクト名が示すようにそれまでのスイス時計産業が培ってきた伝統をことごとく覆すことだった。彼らは、1979年に開発された組立式廉価時計「デリリウム」をベースに研究を始め、翌年、ジャック・ミュラーとエルマー・モックが、単純構造コンセプトを完成させ、最初の雛型を作った。やがて、エタ社内部で「ポピュラリス」と名づけられたプロジェクトは,1981年「スウォッチ」となった。

スウォッチの時計を見る・探す

 ブランドロゴ4

セイコー
【 SEIKO 】

 フラッグシップライン「グランドセイコー」を擁す、日本が誇る世界屈指の時計メーカー。

 1881年、服部金太郎により、服部時計店創業。1892年、精工舎を設立し、掛時計を製造する。1913年には国産初の腕時計ローレルを発売。1924年から時計類の名称としてSEIKOの使用開始。1964年、セイコーは東京オリンピックの公式時計を担当。そして1969年、ついに世界初のクオーツ腕時計を発売。当時の機械式腕時計が月差±1分という時代に、月差±3秒という驚異的な精度を実現。安価かつ高精度であるクォーツ時計を商品化したことにより、時計国際市場の多くを掌握。それは、世界の老舗時計メーカーに深刻な経営危機をもたらすほどのものだった。その後、数々のオリンピックで公式時計担当。社名も幾度か変更され、現在に至る。

セイコーの時計を見る・探す

セクター
【 SECTOR 】

 セクター社のルーツは、1858年、イタリアのアンティーク時計商であったMr.filippo Giardielloが初めて製造、販売した"philip Watch"。1979年、イタリアのアータイム社よって、イタリア・ミラノにセクターは設立される。 以来今日まで、セクター社はイタリアンデザインを生かしたスイスメイドの時計製造、販売をつづける。現在ではグループのフラッグシップ的なブランドとしてイタリア市場で全ブランドを抑えてNO.1の販売を誇るとともに、世界中のスイス製スポーツウオッチ市場のリーダー的な存在にまで成長している。
セクターのコンセプトは『ノー リミット(NO LIMITS)』、限りなき挑戦。1989年に設立した超一級冒険家集団『ノーリミッツ チーム』への支援。近年ではローボートによる大西洋無支援横断に成功したアメリカ人女性のビクトリア・マーデン、フリーダイビング・アプネア(無呼吸潜水)において3部門で世界記録を樹立したウンベルト・ペリッツァーリ、地球一周4万キロの単独周航を達成したマイク・ホーンなど。このようにセクターは地球規模の冒険活動を通して、商品特徴であるヘビーデューティさを過酷な冒険活動のフィールドテストによって常に試すとともに、人間の限界に挑戦するライフスタイルをテーマにしている。

セクターの時計を見る・探す

ゼニス
【 ZENITH 】

 1500回を超える数多くの受賞、そして、伝説的クロノグラフムーブメント「エル・プリメロ」を世に送り出すマニュファクチュールの雄。

 1865年、ジョルジュ・ファーブル・ジャコにより、ル・ロックルにゼニスの前身となる時計工房を設立。精密時計の量産に注力し、スイスの時計づくりを手工業から産業へと変革していく。その後、パリ万国博覧会で宇宙の頂点を意味する「ZENITH」という名の手巻き懐中時計用ムーブメントを発表。1911年ジョルジュは67歳で引退、社名もゼニス社に変更される。
 パリの他、バルセロナなどの万国博覧会で数多くの栄誉に輝き、スイスのニューシャテル天文台やイギリスのテディントン国立物理学研究所などのクロノメーターコンテストにおいても数多くの受賞をする。1960年代になると、世界初の自動巻きクロノグラフの量産化に着手、1969年、時計史上初の専用設計自動巻きクロノグラフムーブメントであり、毎時36,000振動というハイビートをもって1/10秒を計測可能とした「エル・プリメロ」発表。世界で名声を得、伝説的傑作ムーブメントとなるが、クオーツショックの煽りを受け、エル・プリメロの生産はその後中止となる。そして、1980年代前半、機械式時計回帰の流れの中、1981年にエル・プリメロは復活。現在に至っても尚、世界最高の自動巻きクロノグラフ・ムーブメントとして評価され続ける。ロレックス社のデイトナも長期にわたりエル・プリメロをベースとしたムーブメントを搭載していたことは、あまりにも有名。現在も同LVMHグループであるタグ・ホイヤーなどに供給している。そして、1994年、汎用自動巻ムーブメント「エリート」を開発。高い評価を得ることとなる。

 日本においては、昭和初期、国鉄の鉄道時計として「ゼニット」の愛称で知られる懐中時計が採用されている。

ゼニスの時計を見る・探す


【ア行】 【カ行】 【サ行】 【タ行】 【ナ行】 【ハ行】 【マ行】 【ヤ行】 【ラ行】 【ワ行】